ほむらの深い愛、まどかの広い愛

 

暁美ほむらは永遠に鹿目まどかの足にすがり続ける

魔法少女まどか☆マギカ」において、暁美ほむら鹿目まどかを「たった一人の、私の友達」と言い、まどかはほむらを「わたしの、最高の友達」と呼びます。

 幾多のループを経て、ふたりはとうとう互いに見つめ合う最高の親友同士になれたかに思えますが、しかしその実、ほむらのまどかへの気持ちとまどかのほむらへの気持ちは同じではなく、性質の異なるものでした。

 ひと言で言えばほむらの気持ちは深い愛であり、まどかの気持ちは広い愛です。この違いは神とその足にすがり愛を乞う人の子(あるいはサタン)という構図を思わせます。

  ※以下、劇場版[新編]叛逆の物語のネタバレを含みます

 

 

■ ほむらの愛は深い愛

「愛よ」

「これこそが人間の感情の極み。希望よりも熱く、絶望よりも深いもの」

 

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』より

 人間代表ヅラで屁理屈耳毛野郎に愛を説いた暁美ほむらですが、その妥当性はひとまず置いといて、確かにその愛はとても深いものでした。

 彼女の愛は言うまでもなくただひとり鹿目まどかに捧げられるものです。

 

「彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい」

「約束するわ。絶対にあなたを救ってみせる。何度繰り返すことになっても、必ずあなたを守ってみせる!」

「まどか……たった一人の、私の友達」

「あなたの為なら、私は永遠の迷路に閉じ込められても、構わない」

「あなたを救う。それが私の最初の気持ち。今となっては、たった一つだけ最後に残った、道しるべ」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第10話・第11話より

 ほむらにとって鹿目まどかこそがただひとつ己の存在理由であり、他は有象無象に過ぎません。

 確かに過去に美樹さやかだった魔女を倒すさい「ごめん、美樹さん」と言ったり(TVシリーズ10話)、巴マミについて「真実を突きつけるのがつらかった」と独白したり(劇場版新編)と、他の魔法少女たちについて彼女なりに親愛を感じていることを思わせる描写はあります。佐倉杏子についても、打算はあれど実力や人物をある程度信頼していると言っていいでしょう。しかし、それらもすべて切り捨ててきたのが暁美ほむらです。繰り返すなかで心を研ぎ澄まし、すり減らし、たったひとつ残ったのがまどかへの思いなのです。*1

 

 

■ まどかの愛は広い愛

 一方で、鹿目まどかの気持ちはどうだったのでしょう。

 

「今のわたしになったから、本当のあなたを知ることができた。わたしには、こんなにも大切な友達がいてくれたんだって。だから嬉しいよ」

「ほむらちゃん、ありがとう」

「あなたはわたしの、最高の友達だったんだね」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第12話より

 まどかは「本当のほむら」を知るに至って「自分にはこんなにも大切な友達がいてくれた」と認識します。しかし、それは「自分は知らなかったけれどいてくれた」という意味であり、まどかにとって大切な友達、そして大切な存在はひとりではありませんでした。

 

鹿目まどか。貴女は自分の人生が、尊いと思う? 家族や友達を、大切にしてる?」

「え、えっと……わ、わたしは……。大切、だよ。家族も、友達のみんなも。大好きで、とっても大事な人たちだよ」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第1話より

  まどかは第1話の時点からずっと「みんな」を大切に思っています。自分に自信がなく臆病で内罰的なまどか、魔法少女になって自信をつけ誰かを助けられる喜びに満ちあふれたまどか、大きな決意で自らの存在を投げ打つ覚悟をしたまどか。鹿目まどかは物語の中で劇的な変化を遂げたように見えますが、その芯はずっと変わっていません。

 

「わたしだってママのことパパのこと、大好きだから。どんなに大切にしてもらってるか知ってるから。自分を粗末にしちゃいけないの、わかる」

「だから違うの。みんな大事で、絶対に守らなきゃいけないから。そのためにも、わたし今すぐ行かなきゃいけないところがあるの!」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第11話より

  ほむらの危機に「わたし、友達を助けないと」とまどかは駆け出しますが、それはほむらのためであると同時に他の大事な「みんな」のためでもあります。まどかの決意はほむらのためであり、みんなのためであり、ほむらの希望、そしてあまたの魔法少女たち(その中には可能性としての自分も含まれます)が抱いた希望のためのものでした。

 まどかのたいせつはほむらだけではないのです。

 美樹さやかのために魔法少女になろうとしたり、ワルプルギスの夜に「わたしは魔法少女だから。みんなのこと、守らなきゃいけないから」と言って立ち向かったり。一周目で戦死したまどかを見てほむらは「私なんか助けるよりも、あなたに……生きててほしかったのに」と言いますが、まどかが助けたかったのはほむらだけではなかったのです。

 まどかの願いはすべての希望を抱いた魔法少女たちへのものであり、それは暁美ほむらはもちろん、巴マミ美樹さやか佐倉杏子、そしてキュゥべえに見せられた過去の魔法少女たちへのものです。少女たちを家畜扱いしてきたキュゥべえに対する「ずっとあの子たちを見守りながら、あなたは何も感じなかったの? みんながどんなに辛かったか、わかってあげようとしなかったの?」という台詞は、その決意の萌芽とも言えます。

 

 「今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第12話より

  ほむらの戦いがまどかの決意に大きく寄与したことは言うまでもありませんが、その決意はほむらひとりを越えてすべての魔法少女のためのものになってしまいます。まどかが守ろうとしたのは自分の愛した世界であり、まどかが戦おうとしたのは賢しらな理屈で人の希望を否定する不条理でした。*2

 まどかの愛は、ほむらを越えて広く向けられる愛だったのです。人という形を保てなくなるほどの広い愛は、キュゥべえが「神にでもなるつもりかい?」と言ったとおり、神の愛によく似ています。

 

 

■ どうして二人は道を違えたのか

 自信がなく、自分は役立たずで何の価値もなく他人に迷惑をかけてばかりと思っていたかつての暁美ほむら鹿目まどか。二人はよく似ています。

 けれど、最終的に二人の愛は正反対のものとなりました。これは、二人の世界に対する姿勢の違いがあらわれたものと言えるでしょう。

 二人でワルプルギスの夜に立ち向かい、すべての力を使い果たしたとき、ほむらはまどかに心中に似た誘いをもちかけます。

 

「私たち、このまま二人で、怪物になって……こんな世界、何もかもメチャクチャにしちゃおっか? 嫌なことも、悲しいことも、全部無かったことにしちゃえるぐらい、壊して、壊して、壊しまくってさ……。それはそれで、良いと思わない?」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第10話より

 しかし、まどかはこの甘美な誘惑をはねのけました。

 

「嫌なことも、悲しいこともあったけど、守りたいものだって、たくさん、この世界にはあったから」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第10話より

 自分が嫌で、そんな自分が生きる世界が嫌いだったほむら。自分が嫌で、けれど自分の生きる世界を大切に思っていたまどか。もちろんこの台詞はまどかが自分にできることを見つけたあとのものだという点を忘れてはいけませんが、その前から、魔法少女の存在を知らない時点でもまどかは「家族も、友達のみんなも大切」と周囲を肯定していました。

 自分に自信がなかったのはまどかもほむらも同じですが、ただひとつ、自らの生きる世界への肯定という点で二人の姿勢は正反対なのです。

 この違いはまどかが家族や友人に恵まれた幸運な少女だったところから来たのかもしれません。(おそらく)先天的な病気のせいもありますが、家族と離れ友達もいなかったのがほむらの不幸でした。

 

「まどか、行かないで!」

 「ごめんね。私、みんなを迎えに行かないと」

 「いつかまた、もう一度ほむらちゃんとも会えるから。それまでは、ほんのちょっとだけお別れだね」

 「まどかぁっ!」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第12話より

 悲観的な味方をするならば、まどかを愛するほむらとみんなを愛するまどかは、最初から永遠に交わることのない二人だったのかもしれません。

 

 

■ ほむらは相容れないことを悟る

 みんなのための存在となったまどかと、愛するまどかを失ったほむら。一度はまどかの愛した世界を守り、まどかの願いを守ろうと決意したほむらですが、自らの魔女結界の中で「ひとりぼっちになったら寂しくてきっと耐えられない」というまどかの言葉を聞いて自分の気持ちに向き合い直します。

 

「もう一度あなたに会いたいって、その気持ちを裏切るくらいなら。そうだ、私はどんな罪だって背負える。どんな姿に成り果てたとしても、きっと平気だわ。あなたがそばにいてさえくれば」

 

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』より

 それは自らの深い愛の自覚であり、あるいはまどかの寂しさをなくしたいという献身への決意でした。たとえまどかの願いを否定し踏みにじってでも、まどかのための世界を取り戻そうと決めたのです。

 これを「まどかの広い愛への否定であり、自身の深い愛が届かないところにいるまどかを手元まで引きずりおろしたかった」と解釈するかは議論の余地があるでしょう。みんなのためのまどかを独占したかったのかというと、それはわかりません。ただまどかのためだけを思ったというのは事実でしょう。

 あるいは「あなたはこの世界を尊いと思う? 欲望よりも秩序を重んじている?」という問いにまどかが秩序を尊ぶと答えたことで、ほむらは自分の愛がどうしようもなく届かないものであり、まどかの愛がどうしようもなく広いと悟ってしまったのかもしれません。仮にまどかが別の答えを返したならそれこそ本当に「あなたがそばにいてくれれば」と言ったとおりに寄り添えたかもしれません。しかし、実際にはまどかの答えは敵対する将来をほむらに予感させ、「あなたがそばにいてくれれば」という前提を失わせました。決意の礎を失った(かもしれない)ほむらは、果たして耐えられるのでしょうか。

 

 

■ 本当にまどかは秩序を重んじているのか

 まどかが秩序を尊ぶと答えたように、二人のそれぞれの愛はどうしようもなく相容れないものという形で叛逆の物語は終わりました。

 しかし、そもそもまどかは秩序を重んじる人間なのでしょうか。

 ほむらの問い自体が多分に誘導的だったというのもありますが(道徳的には秩序が「正解」でしょうし、まどかの温和な性格やかつての記憶を持たない点を考えればなおさらです)、それだけではありません。最初に秩序へ叛逆したのはほむらではなくまどかでした。

 

「その祈りは――そんな祈りが叶うとすれば、それは時間干渉なんてレベルじゃない!」

因果律そのものに対する叛逆だ!」

「はっ――君は、本当に神になるつもりかい?」

「神様でも何でもいい」

「今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい」

「それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第12話より

 すべての魔法少女たちの希望になる決意をしたとき、まどかは怯むことなくルールを壊すと言い放ち、条理の否定を謳います。

 インキュベーターは言葉巧みに自分の行動を正当化し、まどかに対し自身を摂理に基づいた存在だと印象付けようとしました。過去の魔法少女たちも多かれ少なかれ「希望のぶんだけ絶望がある」、「願いや奇跡は人の命ですら贖えない」、「自業自得」と魔法少女の運命を受け入れ、かつて抱いた希望を否定しました。最終的には結局それがルールだ、とどうしようもなく思い知ってしまったのです。

 まどかはそのルールを真っ向から否定し、分不相応で都合のいいと言われかねないような数多の希望と願いを肯定しました。

 ほむらは自分の最初の願いに立ち返り、それを「欲望」と位置づけましたが、最初にそうしたのは実はまどかだったのです。

 

 あるいは秩序と欲望という二項対立自体が間違っていたのかもしれません。

 世界を大切に思うという広い愛を秩序、ただひとりを大切に思う深い愛を欲望とするならば、これをまどかとほむらの二項対立にあてはめることは容易です。

 しかし、この対比は陥りやすい罠、ミスディレクションでしかないのではないでしょうか。

 ほむらが秩序と欲望という誤った図式を持ち出してきたのは、結局最後までどうしようもなくまどかのことを理解できていなかったという事実を指すようで悲しくもありますが、同時に本当に二人がもう相容れないと結論づけるのはまだ早いという示唆でもあります。

 

「だからって、あなたはこのまま、帰る場所もなくなって、大好きな人たちとも離れ離れになって、こんな場所に、一人ぼっちで永遠に取り残されるって言うの?」

「ふふっ。一人じゃないよ」

「みんな、みんないつまでも私と一緒だよ」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第12話より

  ひとりぼっちが寂しかったのはまどかではなくほむらだったかもしれません。巴マミがいて、佐倉杏子がいて、クラスのみんながいて、まどかから見ればそれはひとりぼっちではないけれど、ほむらにとってはまどかがそばにいなければそれはひとりぼっちに等しいのです。

 まどかを現世に引きずりおろしたけれど、ほむらが再びのまどかのそばにいられるようになるのは難しいのではと思わせて叛逆の物語は終わりました。けれど、まどかの言葉通り、本当はいつだってまどかはほむらのそばにいたのです。

 かつてまどかが「諦めるのはまだ早いよ」「大丈夫、きっと大丈夫。信じようよ」と言ってほむらとお別れしたように、再び二人が交わるチャンスは残っています。

 

「だって魔法少女はさ、夢と希望を叶えるんだから」

 

TVシリーズ『魔法少女まどか☆マギカ』第12話より

 

*1:もっとも、 さやか魔女化からの巴マミの行動で一度に三人を失うことになっても、その死を悼む前に「大丈夫だよ。二人で頑張ろ? 一緒にワルプルギスの夜を倒そう?」 と泣き笑いでまどかに声をかけるなど、 (おそらく)三周目の時点で既にまどか以外見えていないのでは? と思わせる部分はあります。結局ほむらにとっては最初からまどか以外重要ではなく、あの場面でまどかが尊敬する先輩かつ師匠である巴マミを迷わず撃ち抜いて自分を救ってくれたことに 無意識に喜びすら感じていたのでは、とすら思いますが、それはあまりに個人的で願望混じりの妄想に等しいかもしれないとも思うので小声で言っておきます。

*2:まどかが魔法少女になる大きな動機のひとつが「何の役にも立てない自分が誰かの役に立てるようになる」であり、それは結局エゴでしかなく自己満足に過 ぎないという見方 があります。それはある面では真実ですが、最終的にほむらのもとへ駆け出そうとした途中での母との問答での「自分が大切にしてもらっているか知ってるか ら。自分を粗末にしちゃいけないの、わかる」という台詞で、自分には価値がないという悩みを既にクリアしていると考えていいのではないでしょうか。もっと も、結局は自分のためという言葉は往々にして堂々巡りにしかならず、ほむらの願いもまどかのためではなく自分を変えたいという自分のためではという話にも なり得ます。自分のためと誰かのためは表裏一体であり、分けて考えること自体に無理があるのでしょう。