『たまこラブストーリー』感想/これから始まる物語

 

 

■ 初日に見てきた

・初日舞台あいさつ回あったけど予約しようかなと迷ってるうちに席が埋まった

・目悪いし変な席で見るよりちゃんと見られる席・レイトショーで落ち着いて見たいと思っていたのでいいんだけど

・パンフレット、読み応えあっていいと思うんだけど1000円て高くないですか……

・ロケハンの舞台となった場所が生活圏内でわりと馴染みがある(そして出町ふたばの豆餅が好物である)というのもあって『たまこまーけっと』はとても好きな作品で、すごく楽しみにして行った

 

 

 

以下、ネタバレ注意

 

■ まっすぐな恋のお話、そして高校三年生という歩みの話

 ド直球のラブストーリーだった。

 高校三年生の春。恋愛なんてぜんぜん縁がない(と思い込んでいた)たまこは、その自己像を手放すことになる。一度手放した自分はなかなか返ってこないけれど、戻ってきたときには大きく姿を変えている。

 

 

■ ふたつのメタファーで描かれるたまこ

 金色の日差しが水面に跳ね返る夕方、鴨川の飛び石でもち蔵とふたりになる場面。たまこは石を拾って「うちの大福みたい」と言う。その石をバランスを崩した拍子に川に落としてしまうのは彼女の変化のはじまりを暗示する象徴的なシーンだ。

 たまこは「おもちのような人になりたい」と言っていた。そのおもちのような人というのはつまりたまこの母のことだ。幼くして母を亡くしたことで、たまこは一家の母親役を担おうとしてきたのだろう。そうでなくてもたまこは母に憧れを抱いていたようだし、純粋に母のことが好きだったはず。お母さんみたいになりたいというのは、彼女にとってはある意味で無理のない自然な流れからくるものだった。

 大福みたいな石はそれまでのたまこを象徴するようなものだ。おもちは丸い。欠けるところのない完成された形。TVシリーズでもたまこはほとんど揺らぎを見せず、精神的にどっしりとしていた。

 しかし、(自分の意志とは関係なく)たまこはそれを手放す。居心地のよい今の状態、このままでいたいと思っていたけれど、もち蔵の思いがけない告白によって否応なく変わってしまう。この物語は、北白川たまこの変化の物語だ。

 

 もうひとつ象徴的なのはバトンだ。たまこの所属するバトン部は、かんなの提案で大会に出場することになる。それに向けてたまこも練習に励むのだけれど、どうしてもキャッチがうまくできない。バトンを高く放り投げて、落ちてきたそれをつかむ。たまこにはそれができない。つかみそこねてしまう。

 うまくキャッチできないのはもち蔵の気持ちをきちんと受け止められないということでもあるし、一度手放してしまった自分をつかめないということでもある。衝撃を受けてどうしていいかわからない、変わってしまったことだけはわかるけれどそれを落ち着いて受け入れられない。

 

 

■ 変化しないキャラクターだったたまこが初めて見せる、変わっていく姿

 たまこは自分のことを「自分を手放してしまったらもう一度つかめない」人間だとどこかで思っているから手放さない。変わらない。周りのみんなが少しずつ変わっていくことに何かの予感めいたものをうっすら感じたりはするけれど、それを自分の変化に重ねるまではいかない。そういう発想がない。

 あるいはもしかしたら今の自分は母が亡くなったとき(そしてパペットのようなおもちで「泣くなよ」と励まされたとき)に子供なりの決意で作られたものかもしれないし、そうであればいっそうその自分を手放したくないと思うことだろう。おそらくは無意識にだけれど。

 いつも明るく前向きだけど、一度後ろ向きになってしまうとなかなか戻れないとどこか自分でも知っているから、あえて前向きでいつづける。明るいところだけ見るようにしている。それがたまこの弱さ。強さと重ね合わせの弱さ。

 

 それまでのおもちみたいに丸い、ぶれのない変わらないまるいまるい自分を手放して、宙で回転するそれをなかなか見られなくて、でも踏み出してキャッチしたそれはかつての自分とはちがう。まんまるにはほど遠いいびつな形かもしれないけれどそれは模倣ではない新しい自分で、本当にこれからすべてがはじまっていく自分で、きっとこれからまた何度も手放してキャッチして手放してキャッチしてをくりかえして、形作られていく。おもちでいったらようやくつきはじめたばかりなんだろう。

 突然の告白を受けてなにがなんだかわからないまま走るたまこの視界として描かれたのは、本当に宇宙の入り口に立ったみたいな極彩色のきらきらとしたまぶしくて何が何かもわからないくらいの新しい世界だった(ここの映像いいですよね)。

 

 

■ 自分の変化に直面するのはたまこだけじゃない

 へたれながらもかっこいいところを見せたり、自分の道という細くてもまっすぐ通った芯を見つけた(作った)もち蔵と、いま初めて「自分も変わるんだ」ということを意識して宇宙の入り口に立ったたまこ。

 でも、もちろんこの二人だけではなく、ほかのみんなも少しずつ変化したり成長したりしている。

 たまこがごろんごろんに渦の中にとびこんでぐるぐるしてる間、同じ時間の描かれない部分で、おそらくはみどりも葛藤していた。静かに、ふとした時間にぐるぐるしたりして自分を見つめて闘って、一歩一歩歩いていたんだろう。それを思うとホントどうしようもなく切なくなる。

 見えない部分での葛藤という意味では、留学もいいなという漠然とした思いから夏休みのホームステイを決意するまでになった史織もそうだろう。

 かんなはちょっと違っていたかもしれない。一足先に自分の道を歩きだしていて、だからすぐそこにせまっている大きな変化(別れ)を過大にとらえるでも過小にとらえるでもなくきちんと見据えていて、ほかのみんなからちょっと先のところから見守って手助けしたりしている。みんなが変わろうとしているのを見て自分も苦手な高い場所に登ってみようとする場面があったけれど、あれは半分みどりを励ますためでもあったような気がする。

 

 

■ これから始まる物語

 TVシリーズから見たらようやくもち蔵の思いが行き着くところに行き着いたという感じだけれど、むしろまさにこれから二人の関係が、というよりはたまこという人間が始まっていくんだと思わされる。

 あらすじだけ見たら本当に平凡ていうか、高校生の小さな恋の話ってだけなんだけど、描き方が本当に丁寧で繊細で美しくて愛らしくて、キャラクターの気持ちによりそわせてくれる感じで(映像・色彩もそういう実在感を感じさせるというか巧みに没入させるすごさがあった)、観て幸福な気持ちになりました。なんかこう、普遍性の存在を信じたくなる。制作側の愛を詰め込んだ感がすごく伝わってきて、ほわーって息を吐いて「よかった……」ってつぶやいちゃう感じです。

 

 

以下、いくつか記憶に残ってる部分を羅列

・『南の島のデラちゃん』であーこの空気ですよねーってホッとする

・チョイちゃんとてもかわいらしいですね

・ミスター、意外にもめちゃ器用

・おしりもちでフラッシュバックする銭湯おしり事件

 

・一方、もち蔵のモノローグではじまる本編は最初から青春映画……! って雰囲気がすごい

・冒頭のもち蔵が店で座ってるシーン、肩幅が広くなんというか男性の身体って感じに見えて、そこから今回の映画の(ある種ファンタジー感が前面に出てたTVシリーズとはちがう)雰囲気にすっと入っていけた

 

・OP、まさかのダイナマイトビーンズ

・これかーって感じで嬉しくなりつつも笑うとこだと思うんだけど、ちょうど昼にTV9話見たばかりだったのでなんかいきなり泣きそうになってしまう。この歌(とエピソード)ほんと好きなんで……。

 

・映画研究会の三人、描かれるバカな文系男子の友情がいいですね

・一方で女子の(ぜんぜんいやな意味じゃない)連帯、かわいい。告白の返事をしよう作戦とかかわいいよね!

・ミーハーというかあっ恋バナでテンション上がるタイプの人だって感じの史織ちゃんとスーパー(いろんな意味でスーパー)アドバイザーかんなちゃんのコンビが火を吹くぜ

・みんないい子なんよ!

 

・パンフレットの最後のページ、出迎えるみどりちゃんの笑顔でいい子だなあみどりちゃんいい子だなあってふわーってなる。たまこともち蔵のふたりがまだ手をつないでたりはしないんだけどでも互いに糸電話持って糸でつながってるというのがぎゃーって感じでいいですね

・映画観てほわーってなってパンフレットの最後を見るとうおーってなる(バカのしゃべり)

 

・ほんとよかったのでぜひ見に行くといいと思う

・TVシリーズ見てなくても楽しめる青春映画にしあがってるけど、でもTVシリーズで積み重なってきたものがあるからこそという部分も多いし(たまこの変化とか)、もち蔵の空回りし続けてきた思いとかみどりちゃんの切ない気持ちとかに感情移入する度合いが変わってくると思うので、やっぱりTVシリーズは見てから行ったほうが楽しめると思います