日記/うまくやれない・あずかり知らぬ・のどけからまし・卵のように

 

3月某日/

 入江喜和『たそがれたかこ』1巻読んでると、いい漫画だと思いつつもつらい。

 主人公のたかこさんは要領が悪くて人付き合いが苦手で、学生時代も何も楽しい思い出がなかったというタイプ。攻撃的だったりエキセントリックだったりするわけでもない大人しい人だけど、どうにも人とうまく接することができない。地味で抑揚のない、べたりとまとわりつくような重みの生きづらさを抱えて生きている。

 自分はこういうキャラクターに共感を覚えるんだけど、でもふと実際にこういう人がいたら自分は仲良くやれるのかと考えると、たぶんうまくやれないと思う。俯瞰して見れば気持ちがわかるように思うけどその場では相手が何をしたいのか何を考えているのかさっぱりわからなくて、会話が続かなくて。もしかしたら苛立ったり、わずらわしく思ったりさえするかもしれない。それはきっと向こうからこちらを見ても同じだろう。

 ある個人が生きづらいということはそれだけで十分に悲劇だ。でもそれ以上に、互いに境遇を理解できるはずの二人が、他の人から見たらなんであの人ああなのって思われるようなことをうんうんわかるよって思えるはずの二人が、わかるはずなのに互いにうまくやれない、わかるのにわかってあげられない。そのことが何よりも不幸で恐ろしく、絶望的だと思う。こんな悲しいことが許されていいのかよ、と思ってしまう。

 はー人間てたいへんだ。ウォウ~。結局また自分の話かよーという感じですね、すみません。

 ちなみにここで挙げた部分はどちらかと言うと導入で、1巻後半から若いミュージシャンにハマって、2巻以降はイメチェンしたり遅い反抗期を迎えたりするそうです。

 

4月某日/

 春が来てしまったよ。あっという間だ。まだまだ寒いですね~とか思ってるのに知らぬ間に花を咲かせてしまう。当たり前のことなのに少しだけ裏切られた気持ちになる。待っていたはずなのに置いていかれたような。すべてあずかり知らぬところで。

 実家から送られてきた山うどを食べる。梅とかで和えてもおいしそうだけどもっぱら火を通して食べている。山菜パスタにしたり、鯖の水煮缶と煮たり。香りが良くておいしいので、皮まできんぴらにして食べる。春のいいところだ。香りの季節。

 

4月某日/

 近頃は眠りが浅くてまいっている。春眠暁を覚えずのはずが。鳥の声はあまり聴こえない。

 花開く陽気かと思えば週を通して雨が続く。せっかく咲いた桜も見る間もなく散ってしまっているかもしれない。ぱらぱらと落ちた椿も目につく。そこまでまるきり春曉しなくてもいいのに。

 桜よりも椿や梅のほうが好きと思っていたけれど、この時季は気づくと桜のことを考えている。もう咲いてしまっただろうか、散ってしまっていないだろうか。わくわくよりもそわそわ落ち着かない気持ちのほうが多い。失われることばかり考えている。世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし。久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ。ことならば咲かずやはあらぬ桜花見る我さへにしづ心なし。みんな落ち着かないでいる。

 

4月某日/

 ケニア北東州ガリッサの大学襲撃のニュースつらい。ガリッサは北東州の州都で、州の中では西端、ケニア中心部ナイロビ方向への玄関口に当たる。ソマリの人たちが多く、見た目もナイロビのほうの人たちと比べるとけっこう違う。細長く中東っぽい顔立ち。住人のほとんどがムスリム。でも襲撃したアル・シャバーブの人たちはキリスト教徒を攻撃したとかそんな感じのことを言っているそうです。このあたりは前はソマリアに近いとはいえ国境付近に比べればまだ大丈夫とか言われていたけど、2011年のケニア軍ソマリア侵攻あたりからきな臭くなってきて、2年くらい前にも爆発事件があった。知らん。もういい。この話はやめよう。

 インターネットやってると否が応でもしんどいニュースが目に入る。でもべつにネット関係なくそういうものかも。人と関わることが社会で生きるということならば。ちがうな、そういうこと言いたいんじゃない気がする。

 震災のときも、ニュースを見ると具合が悪くなった。目をそらしてはいけないとか忘れてはいけないというのはきっと正しいと思うんだけど、その正しさに適応できず落伍してきた結果が今の自分なので。みんなが覚えておいてくれ。自分はそれ以外にも忘れたいことでいっぱいなんだ。

 ちいさな喜びを卵のように抱えて呼吸していたい。桜餅を食べて、草大福を頬張って、いちご大福に舌鼓を打ち、ぼたもちでお腹いっぱいになろう。