日記/真昼の静寂・イノシシと殴りあってでも・きんいろ

 

11月某日/

 アントニオ・タブッキ『レクイエム』を読んでいる。うだるような暑さのポルトガルリスボンが舞台の小説。夏の日差しは強く、影は濃く、蒸し暑さと人気のなさで石畳の道がいつもとどこか違って見える真昼の静寂。

 真昼の静寂というのは小さいころから個人的に頭の中でこごっていたもので、だから『レクイエム』のようにそれが描かれると引き寄せられてしまう。『明日のナージャ』のスペイン編だとか、日本の蝉の声ばかりが響く夏休みだとか。

『レクイエム』や『ナージャ』のように、イベリア半島シエスタ・セスタとして日差しを避け真昼に静寂が訪れる。太陽が明るく輝いているのに、人の気配が感じられない真夏の昼下がり。日常の中の異界。いつもと同じはずなのに、気づかないうちに形だけそっくりでまったく違う別のどこかに迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。

 そういう風景に惹きつけられるのは、あるいは夏になるといつも太平洋戦争の空襲や原爆関連の物語や何やらを見せられていたせいもあるのかもしれない。国語の教科書にも載ってたし。「それ」が起こるのは決まって真夏の昼だった。

 あと『レクイエム』は出てくる食べ物がおいしそうでいいです。よい食事シーンを読むのは喜び。

 

11月某日/

 安売りで山芋を買えたのでお好み焼きにして食べる。ンマーイ。

 以前どこかで「お好み焼きはキャベツを焼くもの」みたいな文を見かけたけど、まさに「お好み焼きは山芋を焼くもの」という感じ。生地のふっくら感が全然ちがうよー。いつもの「小麦粉を水に溶いて焼いたもの」の域を完全に超えている。お好み焼きだこれ。

 やはり山芋はイノシシと殴りあってでも食べる価値があると再確認。

 

11月某日/

 これ書いてて「これって日記じゃないよなあ」と思う。毎日書いてないし、その日なにしたとかの記録あんまりしてないし。しかも日にちに抜けがあるどころか日付すら曖昧だ。でもまあいいじゃないですか。なんだっていい。本当になんだっていい。

 11月も末になってようやく紅葉も盛りを過ぎて葉もだいぶ落ちたかな、という感じ。子供のころの感覚ではこの時季はもう冬だと思っていたんだけど。紅葉の始まり遅い。これは京都だからなのか、それとも日本全体の気候が変化しているのか、あるいは記憶というか認識が既に間違っているのか。

 赤と黄がグラデーションになっててまんまるい虫食いがちょこんとある、みたいな秋の葉が好きなんだけど、本当に燃えるようなというくらい濃い赤のモミジや黄金色と書いてきんいろと読みたいくらいまばゆいイチョウなんかもすてきで、本当に足を止めて見入ってしまう。

 秋の風景というと中原淳一の絵を思い出す。微妙な色合いの葉が描かれていて、まんまるい虫食いだけが妙に可愛らしかった。

 気に入った葉っぱを見ると拾って持ち帰ってしまう。ポケットに石やらなんやら入れて帰ってくる子供の気持ちがわかるー。