日記/らちもないソウス

 

 ソウスがなくなったので買いに行こうと思ったが、道中歩きながらどろソースが頭をかすめる。前にスーパーで見かけたときは360mlで340円くらいだった。とんでもねえ。普段使っているソウス(中濃)は500mlで180円くらいだ。計算する気にはならないが(そういうのはかしこい人がやってくれる)お高いものですねということはわかる。それくらいはわかる。

 ソウスがなくなったので買いに行ったというのはうそだ。つくつもりはなかったが確かにうそだ。本当は銀行に振り込みに行った帰りにスーパーに寄ったのだった。そこでとてもおいしそうなメンチカツがお安くなっていて、いいなあ食べたいなあそういえばソウス切らしてたな、と思ったのだった。そこでソウス売り場に向かいながらどろソースが思考に割り込んできたのだ。

 

 どろソースがうまいというのは聞いていた。お好み焼きなどにかけると他では味わえない妙味があるという。どこで耳にしたのかはわからぬが「関西の至宝」という言葉がちらつく。たぶん勝手に自分で考えたんだと思う。

 そもそも自分にとってソウスはあまり馴染みがないものだった。関東育ちだからかもしれないし、貧乏なわりに母がややナチュラル健康志向だったせいかもしれない。なんとなく中濃とウスターの名前は知っていたが違いも何もわからず、ひとり暮らしを始めてコロッケにソウスをかけようとしてオイスターソウスをかけたくらいだ。生臭かった。オイスターソウスの名誉のために言っておくとこれはとてもいい調味料で炒めものなどに重宝するのだが、コロッケに直接かけるには向いていない。

 ここ2年くらいでソウスをよく使うようになったのでソウスに対する関心も出てくる。やたら小麦粉を水に溶いて焼くようになった。キャベツを混ぜて焼く。水もできるだけ出汁を使うようにする。これをお好み焼きと呼ぶのはなにか物悲しくやるせない気持ちになるので、小麦粉を水に溶いて焼いたものと呼ぶほかない。名付けるという行為は時として影響が大きすぎる。形のない悪意が拠り所を得て邪悪になる。おとぎ話のプロローグだ。

 ともあれ、関西は粉物好きだからソウスにはこだわるとはよく聞くし、実際スーパーなどに行くとソウスコーナー多士済々である。オタフクとかブルドッグとかメーカーもいろいろある。コンビニのPB商品ですらとんかつ、ウスター、中濃と3種類用意されていた(今は日本中どこもそうかもしれないが)。

 だいたいなんでもおいしく食べられる舌なので(なんでもいいというわけではないが)、けっこう安物のソウスでもおいしくいただくのだが、しかし憧れというものはある。味そのものより文化として育まれるほど蓄積された(文化の定義に思うところはあるがしかしここでは置く)ソウスの研鑽への憧れがある。

 結論を言うと憧れに負けた。自分にとっては高級品であるどろソースを買ってしまった。メンチカツ3個より高かった。メンチカツ安かったな。

 

 ソウスというのは甘く、辛い。甘辛いというのとは少し違う。野菜や果物を抽出したエキスに由来する甘みに、辛さというよりは刺激といったほうが正確なようなそんな 刺激が混じる。それがマヨネーズと混ざる。舌で舐めているだけなのに頭から全部かぶっているような感覚になる、そういう味だ。

 どろソースがどういうものかについてはごじまんのインターネットの出番なので野に犬を放つように活躍させてあげてほしい。喜び勇んで骨を拾ってくる。その結果とこれから話すどろソースがはたして同一のものであるかはわからないが、まあそういう話はどうでもいい。

 どろソースは刺激が優る味である。ぴりりという部分の主張が強い。舐めたあとに舌や喉に刺激が残る。刺激の記憶が残る。他のソウスと比べるとこれが大きな特徴だ。しかしそれだけがどろソースではない。刺激の土台には豊潤な甘みがある。りんごや何やらの想念がどろどろと煮詰まっている。枝が始まりなら、ここは世界の果てである。

 雑であることと繊細で複雑であることが矛盾なく両立している。彫刻が光の当たり具合によって表情を変えるのに似ている。ソウスとはそういうものであり、どろソースもまたその陰影を内から放つものとして発散する。

 あるいは他の甘めのソウスに混ぜると良いのかもしれない。その配合に達人の妙が生じるのかもしれない。好きなソウスを組み合わせて君だけの最強のソウスを作ろう。

 そういうのは家庭に任せる。おうちの味が生まれる。父のこだわりがあり、母のこだわりがあり、子のこだわりになり、よそのおうちにお呼ばれしたときの驚きエピソードになる。あるいは大学生が集まってアパートの一室で各々のオリジナルレシピを披露する。○○先輩の配合は絶品。

 どろソースだけでいい。愚直にこの刺激の強い濃厚なソースをどろりとかける。この人生ではそうやっていく。次にまた買うかどうかはわからないが(なにしろ高級品なので)少なくともこのボトルがなくなるまではどろソースだけと付き合っていく。小麦粉を水に溶いて焼いてはどろソースをかけていく。かつお節の粉やマヨネーズもかける。1個40円のコロッケにたらす。ときには何かの隠し味に使ってもいい。

 

 食パンも買った。キャベツは買い置きがある。キャベツがひと玉あると心強い。半玉ではいけない。すぐ断面が黒くなる。ひと玉をむきむき使うと長持ちしてくれる。頼れるやつだ。

 6枚切りの食パン1枚を半分に切り、網で両面軽くあぶる。それぞれ片面マヨネーズを塗り、片方はからしも一緒に塗る。千切りにしたキャベツをのせ、その上にメンチカツをのせる。不安定になってもかまわない。どろソースをかける。はさむ。

 昼はとうにすぎ、夕方といっていい時間になっていた。日が長い夏の水曜はしかし、近づいた台風によって暗く沈んでいた。