日記/インターネットあのね・死体は蹴りを避けない・人里は複雑

 

 べつに無理して頭良さそうなこと書こうとしなくてもいいのではないか(できないし)と思ったので、ただあったことを書こうと思う。日記である。

 先生あのねとかお母さんあのねと言える存在がいないのでインターネットに情報デブリを撒くのだ。インターネットあのね。アンネ・フランクだってキティーあのねしていた。ノイズが増えるということを除けば同じだ。鍵付きの日記帳に書いても何かの間違いで世界中の人々に読まれてしまうのだし(それも死後50年以上経ってもだ)、自ら公開しようがしまいが大した違いはない。

 これは余談だが、太宰治記念館に行ったとき、兄に金を無心する手紙だとか芥川龍之介にお願いですから賞をくださいと懇願する手紙だとかを見た。研究者は加減というものを知らない。死んだ人間は何も話さない。死体は蹴りを避けない。死んだらこれ以上ひどい目に遭わないというのは嘘で、ただひどい目に遭っていることを知覚できなくなるだけだ。あるいはひどい目に遭うのはかつて自分であった何かであり、自分がひどい目に遭うわけではない、のかもしれない。

 

 話がそれた(ただその日あったことを書くというだけのことに話の筋もないだろうとは思うけれど)。とにかくあったことを、その中で書きたいことだけを書こう。

 朝方は雨だった。強い雨。昼前にはやんだが空は暗いままだ。またすぐ降るぞという気配を匂わせている。コミュニケーションが成立している。

 昨日作ったホットケーキの残りを温めて食べる。午後三時過ぎから図書館に行った(午前というのはすぐ終わってしまう)。本を返却して、また借りる本を物色する。かばんが重くなるのは嫌だなと思いつつ、結局単行本サイズを四冊借りてしまう。

ダグラス・クープランド/江口研一 訳 『ライフ・アフター・ゴッド』 1996 角川書店

飯野正子、竹中豊 編著 『現代カナダを知るための57章』 2010 明石書店

原克 『アップルパイ神話の時代 ―アメリカ モダンな主婦の誕生』 2009 岩波書店

村田喜代子 『百年佳約』 2004 講談社

『ライフ・アフター・ゴッド』はかなり昔に読んでおもしろかった『マイクロサーフス』のことを最近なぜかふと思い出して、著者の別の小説を読んでみたいなと思って借りた。どちらも装丁が可愛い。

 本当はがばがば買いたいけど、経済的にそういう余裕が無い。べつに図書館で書籍を借りることは悪いことではないけれど、できれば買って読みたいと思う。とりわけ出て5年も経っていない、比較的新しい書籍などは。

 無意味なことを書いた。

 

 その後、家に帰らず本屋に向かう。途中、横断歩道の前で若い女性が近づいてきて、何かと思ったらマクドの店員さんがポテト無料券を配っていたのだった。そんなことまでするのか。なんか今たいへんらしいですね(散漫な感想)。

 本屋では立ち読みしていたら、若い大学生だか社会人1、2年目だかの男性二人組がなぜか自分のすぐそばで大声で話し始めて、たいへん居心地が悪かった。体鍛えてるとか、東南アジアのどこだかに旅行するとか、本をただ読んでも知識を詰め込むだけで対話がないと本当に身につかないじゃんとか、そういう話をしていた。べつにそれはいいけど、なぜかその二人が自分の左隣と背後に位置していて、特別な意図はないのだろうけど変な距離感で、うん、変な距離感だった。もしかしたら自分の立っていた棚に用があったのかもしれない。だとしたら悪いことをした。

 声が大きい人があまり得意じゃない。べつに人格がどうとかじゃなく、単に大きい音が苦手なだけだ。道路を走るバスとかトラックとかも苦手。外は怖いところだ。

 

 それからスーパーに入って10分以上うろうろしたあげく、豆苗とバニラアイス(3割引)を買って帰った。スーパーでもコンビニでも、買うまでアホみたいに時間をかけてしまうのが直らない。途中で頭がぐるぐるして自分が何を買いたいのかわからなくなってしまうこともたまにある。商品の数が処理能力を超えている。消費社会に向いていないのかもしれない。人里は複雑なのだ。

 豆苗とへろへろでへたがやや茶色くなった甘長唐辛子とちりめんじゃことを具にして雑なペペロンチーノを作って夕飯にする。その後はアイカツ! のおさらい(一部過去話を公式サイトで配信している)を見た。すばらしい時間だ。一日に意味が与えられた。意味なんてべつになくてもいいが、それはそれとしてアイカツ! 視聴はすばらしい。

 お茶を飲んで、歯磨きをして、寝る。まだ寝ていないから寝るのは予定だ。

 一日が終わる。